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久保田藩を支配する外様大名として存続した

江戸時代を通じて久保田藩を支配する外様大名として存続した。元禄14年(1701年)に佐竹氏第21代当主で久保田藩第3代藩主の佐竹義処は弟の佐竹義長に2万石を、甥の佐竹義都に1万石を分与し、久保田新田藩として立藩させた(新田分知のため久保田藩の石高に変化はなし)。そのうち、佐竹義都を初代藩主とする久保田新田藩は、享保17年(1732年)に義都の子の佐竹義堅が久保田藩第5代藩主の佐竹義峯の嗣子となったために廃藩となり、封地は久保田藩に還付された。一方、佐竹義長を初代藩主とする久保田新田藩は、歴代藩主が壱岐守に叙せられたので佐竹壱岐守家とも呼ばれ、明治2年(1869年)に岩崎藩と改称した。

明治17年(1884年)、佐竹氏第30代、第32代当主で旧久保田藩主の佐竹義堯は侯爵に、佐竹壱岐守家(旧久保田新田藩)の当主の佐竹義理は子爵に叙せられ、明治22年(1889年)には佐竹壱岐守家の出身で義堯の養子となり一時的に宗家を相続した佐竹義脩が男爵に叙せられた。なお、家臣であった佐竹四家(東西南北家)に関しては、明治33年(1900年)に佐竹西家の佐竹義遵、佐竹南家の佐竹義雄、および佐竹北家の佐竹義尚が、明治39年(1906年)に佐竹東家の佐竹義準がいずれも男爵に叙せられた。東洋製作所の元社長の佐竹義利は佐竹東家の出身であり、現在の秋田県知事の佐竹敬久は佐竹北家の出身である。
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なお、佐竹氏宗家(旧久保田藩主)が伯爵ではなく侯爵とされたのは戊辰戦争において新政府軍に加わったためとする説があるが、実際のところは久保田藩の石高が表高に対して実高が多かったためである。

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2009年06月05日 12:22に投稿されたエントリーのページです。

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