第58機動部隊(司令官:マーク・ミッチャー中将)
空母9隻(エンタープライズ ホーネット、ベニントン、ベローウッド、サンジャシント、エセックス、バンカーヒル、ハンコック、バターン、イントレピッド、ヨークタウン、ラングレイ)
戦艦6隻(マサチューセッツ、インディアナ、ニュージャージー、サウスダコタ、ウィスコンシン、ミズーリ)
その他の支援艦艇(大型巡洋艦アラスカ、グアムと多数の駆逐艦)
空母艦載機 386機
4月6日16時、戦艦大和以下の第1遊撃部隊は徳山沖を出撃した。16時10分、伊藤長官は麾下の艦艇に対し出撃に際しての訓示を発する。
“ 神機将ニ動カントス。皇国ノ隆替繋リテ此ノ一挙ニ存ス。各員奮戦激闘会敵ヲ必滅シ以テ海上特攻隊ノ本領ヲ発揮セヨ ”
— 伊藤整一第二艦隊司令長官
このように悲壮なる決意をもって第二艦隊は出撃したのである。豊後水道で対潜掃討隊と分離した後、艦隊は一路沖縄本島への進路を取る。 しかし20時20分頃、都井岬南方30海里の地点に配備されていたアメリカ軍の潜水艦スレッドフィンとハックルバックは豊後水道を南へ向かう日本艦隊を発見し、アメリカ艦隊へ日本艦隊の出撃を通報した。
4月7日払暁、日本艦隊は大隅半島を通過し外洋へ出て、南へ九州から沖縄本島へと向かった。日本艦隊は中央に矢矧、大和の順でならび、その周りを1,500メートルずつ離れて8隻の駆逐艦が輪形陣を敷き、20ノットで進んだ。 鹿屋基地の第5航空艦隊の零戦計20機前後が、司令長官宇垣纏中将の独断で早朝から午前10時頃までにかけて交代で護衛に当たった。駆逐艦のうち朝霜は7日早朝に機関故障を起こし艦隊から落伍した。アメリカ軍の偵察機は日本艦隊を追跡した。10時、日本艦隊は西に向きをかえ撤退するように見せかけたが、11時30分に沖縄本島へ向けて進路を変えた。
第1波攻撃
大和の出撃を察知し、沖縄諸島攻略の任に当たっていたアメリカ第5艦隊司令長官スプルーアンス大将は戦艦同士の決戦を求め、沖縄本島周辺に艦砲射撃任務を遂行中だった6隻の戦艦と7隻の巡洋艦を任務から外して迎撃準備を行わせたが、艦隊の進路が不明なため最終的にミッチャー中将の第58機動部隊による航空攻撃を許可した。
10時ごろ、奄美諸島近海に位置していた8隻の空母から数波にわたる約400機の攻撃隊が発進した。攻撃隊はF6Fヘルキャット戦闘機、F4Uコルセア戦闘機、SB2Cヘルダイバー爆撃機、TBF/TBMアベンジャー雷撃機で構成されていた。戦闘機は全機爆装して出撃した。その他の支援艦艇も航空攻撃が失敗に終わった場合に備えて日本艦隊阻止のため集結した。日本艦隊には直掩機数機が付随していたが、九州近海で陸上基地に帰還した。2時間かけて到着したアメリカ軍の攻撃隊は日本艦隊の対空攻撃の射程外で、組織だった攻撃をおこなうために日本艦隊を取り囲むことが出来た。天候は悪かったが、それは双方に不利に作用した。
メソッド ディスポ ワシン ナギイ 十字星 ケルセ ロービ はつい バナナの涙 鹿鳴つまみ 延暦 スーパー ハリケーン ノンブル タイム メラネシア メラルド スタンバイ ダイク スパン バックナ きゃべつ マスアミ ジャテラ ローフ レクイエム がいがん トリプシ リップ ハーピー ドラス ハゲイ トッカ リグナビ ハット チューリ ランド フラック ツンドラ せろりあ サフ たぬきじる め組最 エスキナ パスモ かたしな レジューム プラン オーバ ソビエト
第1波の攻撃隊は12時30分に攻撃を開始した。日本艦隊は速度を25ノットに上げ回避行動を開始し対空戦闘をはじめた。大和は約150基の対空火器を装備していた。雷撃機は転覆を狙うため左舷に攻撃を集中した。12時46分、矢矧の機関部に魚雷が命中した。これにより機関部員は全滅し矢矧は航行不能となった。第1波の攻撃で大和には爆弾2発と魚雷1本が命中した。速度の低下はなかったが爆弾の命中により後部艦橋が破壊され火災が発生した。また、この攻撃で涼月が前部に爆弾の直撃を受けて大破して落伍し、浜風が沈没した。さらに、機関の故障で艦隊から落伍していた朝霜も、大和以下に対する空襲の開始直前に攻撃を受け、撃沈されているが、生存者がいないために詳細不明である。
第2波・第3波攻撃
13時20分から14時15分の間に第2波と第3波の攻撃隊が来襲した。攻撃は大和に集中し大和は少なくとも8本の魚雷と15発の爆弾を受けた。爆弾は艦の上構に損害を与え、対空射撃能力が低下した。魚雷はほとんどが左舷に命中していた。そのため艦は傾き転覆の危機がせまった。13時33分、右舷の機関室とボイラー室に注水がおこなわれた。この際そこにいた多数の乗員にはこのことが知らされず、水にのまれたと一部の書物には記載されているが、実際注水作業は瞬時に行うことは不可能であり、退避する時間は十分にあったと思われる。右舷の機関の喪失と多量の浸水のため速度は10ノットに低下した。低速で進む大和は雷撃機の格好の目標となり、航行能力をそぐために舵や船尾に攻撃は集中した。この間、霞が直撃弾2発、至近弾一発を受けて缶室に浸水、航行不能となり、第一波攻撃で航行不能となっていた矢矧にはさらに少なくとも6本の魚雷と12発の爆弾が矢矧に命中した。矢矧の救助に向かった磯風も攻撃を受けて大破し航行不能となった。矢矧は転覆し14時5分に沈没した。
14時2分、大和の沈没は避けられないことを知らされ伊藤中将は作戦の中止を命じた。乗員は艦から脱出した。14時5分、大和は転覆し始めた。伊藤中将と艦長有賀幸作大佐は退艦を拒否して艦に残った。14時20分、大和は完全に転覆し沈没を開始した。14時23分、大和は爆発した。この爆発は弾薬庫の誘爆または、機関室の水蒸気爆発によるものと考えられている。きのこ雲は2万フィートの高さにまで上り、213キロ離れた薩摩半島でも目撃されたという伝説がある。(30°22′N, 128°04′E)
帰投
16時39分に第1遊撃部隊指揮官に対して乗員救助の上佐世保への帰投が命ぜられた。この海戦で日本側は大和を始め軽巡矢矧、駆逐艦浜風が撃沈され、霞と磯風も航行不能となり処分された。また分離行動中の朝霜も爆撃で沈没し全員が戦死した。涼月は艦首を失ったが後進で佐世保に帰還したものの、ドック内部で沈没擱座した。被害の少なかった駆逐艦冬月、雪風、初霜は大和の生存者280名、矢矧の生存者555名と磯風、浜風、霞の生存者800名以上を救助したが、約3,700名がこの戦いで戦死した。生き残った艦は生存者を佐世保へ連れ帰った。
米軍機の損失は10機。その乗員の内何人かは水上機や潜水艦に救助された。米軍の戦死者は合計12名であった。大戦を通じて米軍などの連合軍が行ってきた沈没船生存者への機銃掃射はこのときも現出し、『戦艦大和ノ最期』を著した吉田満をはじめ多くの生存者が、このとき米軍機の機銃掃射を受けたと証言している。
米軍機の多くは日本側からの機銃掃射を受け、撃墜とまではいかなくとも損傷した機体が多く、そのうち二機は帰投後に放棄されている。
時系列
4月5日 13:59 第1遊撃部隊に出撃準備下令。
4月6日 15:20 第1遊撃部隊が徳山沖を出撃。
19:45 第1警戒航行序列(対潜序列)。
20:20 磯風が敵潜水艦らしきものを発見。第二艦隊米潜に発見される。
4月7日 06:00 第3警戒航行序列(対空序列)を取る。
06:30 大和が唯一搭載していた零式水上偵察機を本土に帰還させる。
06:57 朝霜(第21駆逐隊司令座乗)が機関故障のため随伴不能となり艦隊より離脱。
06:30頃-10:00頃 第5航空艦隊所属の零戦部隊による艦隊上空直衛が交代で実施される。この間、奄美諸島近海に展開していたアメリカ海軍第58機動部隊から、作戦機約400機からなる攻撃隊が、第1次攻撃隊と第2次攻撃隊とに分かれて、相次いで出撃する。
10:00頃 第1遊撃部隊が米軍の飛行艇2機に発見される。その後、艦隊は、米高速空母機動部隊から攻撃隊に先駆けて出撃したF6F戦闘機、F4U戦闘機計10数機の接触を受けながら、偽装航路を中止し、沖縄に向けて南下する。
11:35頃 大和に搭載された対空電探が、約100キロの距離にいる米軍艦上機の大編隊の接近を探知する。
12:10 落伍した朝霜より「ワレ敵機ト交戦中」との無電が入る。
12:15 大和以下の各艦が総員対空戦闘配置を完了する。
12:21 朝霜より「九十度方向ヨリ敵機三十数機ヲ探知ス」との無電連絡が入る。この後同艦は消息を絶った。
朝霜は、この直後に沈没したと推定される(単艦戦闘で生存者がいないため最期の戦闘の詳細は不明)。
12:30頃 敵攻撃隊の大編隊が雲間から降下し、第1遊撃部隊上空へ殺到し始める。第一次空襲始まる。
12:35頃 大和以下の各艦が対空戦闘開始。
12:47 浜風轟沈。この頃、大和後部に初弾命中。電探室および主計課壊滅。
矢矧航行不能
13:00 第一次空襲終了。
13:22 敵機群第二波約50機来襲。
13:33 第二次空襲始まる。
大和左舷に魚雷3本命中。大和の副舵が取舵のまま故障(後に舵中央で固定)。
13:56 磯風、航行不能
14:05 矢矧沈没。
14:20 大和、左舷に傾斜20度、総員最上甲板が命ぜられる。
伊藤長官が長官室に向かう。
14:23 大和沈没(左舷側へ大傾斜、転覆ののち、前後主砲の弾火薬庫の誘爆による大爆発を起こして爆沈)。
14:23 伊藤中将戦死により第1遊撃部隊指揮権を先任指揮官の古村少将が承継。
14:25 アメリカ軍の攻撃が終了[6]。
16:39 作戦中止が下命される。
16:57 霞沈没(砲雷撃により処分)。
17:42 初霜が第2水雷戦隊司令官を救助。
22:40 磯風を雪風の砲雷撃により処分。
4月8日 冬月、雪風、初霜及び涼月が佐世保軍港に帰投。
その後に与えた影響
大和の沈没により、第2艦隊は作戦を中止し、帰投した。この海戦は、日本海軍の水上戦闘艦艇の事実上の壊滅を意味するものとして広く認識されている。これ以降、水上部隊による攻撃作戦は、瀬戸内海への機雷封鎖攻撃と燃料不足のために行われることはなく、残存艦艇の殆どが、身動きできないまま敵機の空襲で瀬戸内海に沈んでいった(呉軍港空襲)。
坊ノ岬沖海戦を題材とした作品
文学
吉田満『戦艦大和ノ最期』
映画
『戦艦大和』 原作:吉田満『戦艦大和ノ最期』、新東宝、1953年
『連合艦隊』 監督:松林宗恵、特技監督:中野昭慶、東宝、1981年
『男たちの大和/YAMATO』 原作:辺見じゅん『決定版 男たちの大和』、監督:佐藤純彌、東映、2005年
岡本喜八監督作品『激動の昭和史 沖縄決戦』(東宝・1971年)や、1964年の松竹映画『駆逐艦雪風』などでも、坊ノ岬沖海戦が描かれている。
長時間テレビドラマ
『海にかける虹~山本五十六と日本海軍』(「新春12時間超ワイドドラマ」。テレビ東京・東映、1983年。第6部「長官機撃墜の謎・戦艦大和の出撃」)
『戦艦大和』(原作:吉田満『戦艦大和ノ最期』、監督:市川崑、フジテレビ・東宝、1990年)
『愛と哀しみの海・戦艦大和の悲劇』(監督:堀川弘通、TBSテレビ・東宝、1990年)